一生をかけて

「今、なんと言った?」
 私は思わず聞き返した。耳を疑いたくなるようなことを、リザが言ったのだ。
「ああ、副官としてのつとめは、これまで通りきちんと果たしますので、その点はご心配なく」
 リザはにっこり微笑んだ。私は苛立ちを隠せず、早口で聞いた。
「その前に言ったことを、もう一度言うんだ」
 聞いてらっしゃらなかったのですか? というようにでも首をかしげ、リザは繰り返した。
「ですから、別れましょうと。そう申し上げたのです」

 副官に推挙してしばらくは、彼女に懸想していることを悟られまいと苦心した。が、ちょっとした仕草や目線の動き、声色で、もしかすると同じ想いをリザも抱いているのではないかと思うようになった。
 だから、実力行使に及んだ。
 というと、まるで私が横暴な上官のように聞こえるかもしれない。
 しかしこれはリザ・ホークアイを愛した者にしかわかるまいが、そうするのが最善であったし、彼女のためでもあったのだ。
 いつものように警備を兼ねて自宅まで送り届けさせた夜。『それではこれで失礼いたします』と身を翻したリザの肩を掴み、
「待ちたまえ」
と引き止めた。
 そして振り向いたリザを抱きすくめ、君を愛していると告げた。
 くだくだとした前置きも、何を言っても陳腐にしかならない理由も、一切省いた。
「ち、ちゅうさ、」
と狼狽し、逃れようとするリザを壁際に追い詰めて、唇を奪った。
 万が一、彼女があとで後悔するようなことがあったとき『あの人が有無を言わせず迫ってきたから、流されてしまった』と自分に言い訳ができるように、強引に。
 案の定、リザは数秒間抵抗し、それから私の口づけを受け入れた。
 壁に押さえつける腕の力とは裏腹に、そっと触れるだけのキスにしたのは彼女を怯えさせないためでもあったし、自分を抑制するためでもあった。
「……君は?」
 唇を放して、聞いた。リザは、ぼんやりと焦点の定まらない瞳で私を見た。そして、
「──いけません」
と小さな声で言った。
「何がいけないんだ?」
 問い質すと、答えはこうだった。
 私はあなたにはふさわしくない。もっとお似合いの女性がいるはず。私たちは上官と副官という立場を超えてはならない。不適切な関係が周囲に知られたら、あなたにダメージになる。
 すべて想定内の理由だったから、一つひとつ、丁寧に論破した。
 それでも力なく首を横に振り続けるリザに、いくら拒絶したところで無駄なのだと悟らせるため、最後にこう告げた。
「君も同じ気持ちのはずだ。私にはわかる……愛してくれているのだろう? 私を」
 リザは言葉を失い、そして涙をひとすじ流した。
 その涙が何よりの真実だった。
 私は改めてリザを強く抱擁し、その日から私たちの男女としての関係が始まった。

 忙しい執務の合い間にも、二人きりで過ごす時間をなるべくとるようにしていた。
 あわただしくはあったが、その分、濃密な逢瀬を私は気に入っていた。
 今夜もそんな密やかな、特別な夜になるはずだった。
 それなのに、リザは言ったのだ。もう終わりにしてください。別れましょう、と。
「なぜ──なぜそんなことを言うんだ」
 自分でも恐ろしいほど冷酷な声が出た。
 リザは答えず、ただ目を伏せている。
 こういうときのリザに詰問しても駄目だ。ますます頑なになり、本心がわからないままになってしまう。
 私はゆっくりと歩み寄り、そして彼女の手を取った。
 愛しさが伝わるよう握り締める。本当は手の甲に口づけたかったが、振り払われそうな気配があったため、やめた。
「何か嫌われるようなことをしてしまったかな」
「……いいえ」
 リザは無理に笑顔を見せようとして、逆に泣き顔のような表情を浮かべた。
「それなら──他に好きな人ができたのか?」
「いいえ」
 今度の否定は、早かった。正直言って、それはないとどこかたかをくくっていたから、もしもこの問いにイエスと答えられていたら、自分はどうなっていたかわからない。
「じゃあ、どうして──」
「疲れたんです」
「え?」
「もう疲れてしまったんです。いやなんです。あなたのことばかり考えているのが!」
 口をついて出た本心に、リザは、しまった、というように口を押さえた。
 私は考えるより先にリザを抱きすくめていた。
 がむしゃらに抱擁し、髪をかきまわすように撫でる。
「やめ、て」
 リザは苦しそうに抵抗する。が、振り回す腕に力がない。
 彼女は鍛錬を積んだ優秀な軍人である。その気になれば相手が大の男であっても投げ飛ばすことくらい朝飯前にできるというのを、私は知っている。
 そのリザが、本当は柔らかな身体と心をもった女性であるということもまた、私は知っている。誰よりも、知っているのだ。
 そしてそんな彼女が愛しくてならず、自分を持て余してしまうほど、恋焦がれている。
 だから──。
「すまない。君のためになるのなら、たいていのことを甘んじて受けるつもりだ。だが、それだけは──別れることだけは、承諾できない」
 私は言った。
 リザはああ、とため息をつく。
「私のことばかり考えて疲れてしまった」恋人を、どうやって癒すか。私はこれから知恵を絞って考えなければならない。

 一生をかけて。