酸いも甘いも

 キンと冷えた夜の空気が心地よくて、リザは天を仰いで大きく息を吸い込んだ。イーストシティは、それほど街灯が多くないせいか、星がよく見えるような気がする。
 ぼんやりとそのようなことを考えていたら、後ろからふわり、と柔らかいものが首の周りにかけられた。
「大佐・・・・・・」
「今夜は冷え込むな。使いたまえ」
 ロイがかけてくれた黒いカシミヤのマフラーに、そっと手で触れながらリザは小さな声で礼を言った。
「ありがとうございます」
 ロイのぬくもりがマフラーに残っているのが、少し恥ずかしくて、リザはうつむいてしまった。 彼は、数歩前をゆっくりと歩いている。
 リザの自宅で食事をした後、珍しくロイが「外へ飲みに行こう」と誘ったのだった。
 人目につくことを案じて、一度は断ったリザだったが、もう真夜中に近い時間だから大丈夫、と言われ、半ば無理やり連れ出されたような形になった。
 飲食店が立ち並ぶ一画の、小さなバーに二人は入った。

「いらっしゃいませ」
「どうも」
 慣れたようなロイの様子から、彼がこの店の馴染みであることが分かった。リザは、この店へ来るのは初めてだった。
 ロイとリザは、使い込まれてすっかり飴色になっているカウンターに腰掛けた。
 ロイが、
「君は、何にする?・・・・・・ここはカクテルが美味いぞ」
と聞いた。リザはしばらく考えて、
「私、カクテルは、詳しくないんです」
と言った。もちろんワインにもウイスキーにも詳しくはないのだが、とりあえずの返答だった。
「そうか・・・・・・」
 リザの答えを聞いたロイは、顎に手を当てて、記憶をたぐるような表情をした。そして、バーテンに、こうオーダーした。
「私はいつものを。彼女にはマティーニを頼む」
「かしこまりました」

 店には他に数人の客がいたが、蓄音機からかすかに流れるゆったりした曲の他には何も聞こえなかった。
 しばらくして、リザの前に出されたのは、よく磨かれたグラスに注がれた透き通った液体だった。銀のスティックのついたオリーブが飾られている。
「乾杯」
「いただきます」
 二人はグラスを合わせた。リザが口をつけるのを、ロイは見つめていた。リザの喉が動くのを見届けて、ロイが聞いた。
「どうだ?」
「すっきりしていて、美味しいです」
 気に入ったなら良かった、とロイは微笑んだ。
 ドライ・ジンとヴェルモットの組み合わせが絶妙な、カクテルの王様と呼ばれるその味を、リザは素直に認めたのだった。
「・・・・・・男と飲みに行く時にだな、」
「え?」
「これを注文すると、酸いも甘いも噛み分けた女性という感じがするから、覚えておくと良いな」

・・・・・・あなた以外の男性と、飲みになんか行きません。

その言葉は飲み込んで、リザは黙って頷いたのだった。
めったにない、二人きりの夜が、静かに更けていった。