ピアス

 リザ・ホークアイが、いつから耳にピアスをつけるようになったのかを、はっきりと思い出せないのは、ロイ・マスタングにとっては痛恨事だった。
 彼女のことなら、すべてを把握しておきたい自分だというのに、こんな基本的なことを知らないなど、ありうべからざることだ。
 あっさりと「君はいつからピアスをするようになったのだっけね」と聞いてしまえばよさそうなものだが、それはなんとなく反則のような気がした。
 彼女から教えられずとも、自分はもちろん知っている、それが恋人というものだろうと強く信じていた。
 だいたい、そんなことにこだわっているというのを、彼女には絶対に知られたくなかった。ただでさえ、女々しくならないように振る舞うのに苦労しているのだから。
 それなのに、気づいた途端に彼女に問いただしてしまった自分は愚かだ。
「中尉?」
「はい」
「ピアス、どうした」
「え?」
「ほら……いつもつけているだろう」
「ああ、演習中は外します。そこから凍傷になりますので」
 その会話は、ブリッグズ要塞の廊下で交わされた。東方司令部と北方司令部が定期的に行っている合同軍事演習のために、ロイは部下を引き連れてブリッグズ入りしたばかりだった。
 凍傷を防ぐために、オートメイルも北方では特別仕様にせねばならないことを知っていたのに、その知識とピアスは繋がっていなかった。
「なるほど」
と言ったときには、リザの姿はもう廊下の遥か遠くに消えていた。いくら軍事演習中は忙しいとはいえ、普段の二割り増しの素っ気なさにロイは思わずしかめ面をしてしまった。
 廊下を早足で歩きながら、リザは自分の頬が火照っていないか、手でおさえて確かめたい気持ちをこらえていた。
 あんなに人目のあるところで、仕事とは全く関係のないことをいきなり聞かれて、リザは驚いたどころではなかった。自分は神経質になりすぎなのかもしれないが、用心にこしたことはない。
 そもそもロイは警戒心が薄いような気がする。自分達の関係が上官と副官以上のものであることは、絶対に知られてはならないのだと、わかっているはずなのに、わざわざ危ない橋を渡るような真似を幾度となくするので、そのたびにリザは身がすくむ思いをしてきた。
 もしかしたら、周りにはとっくにバレていて、自分が隠そうと苦心している姿は滑稽なものにうつっているかもしれない、とも思う。
 だからと言って堂々と、という気にはとてもなれず、リザは人知れずため息をついた。

 演習を終えて、イーストシティに戻ると嘘のように暖かくて、リザはまるで外国へ行っていたような気分になった。
 一日だけ取れた休暇は、家の片付けで終わることになりそうだった。掃除をしていると、郵便配達人らしき男性がドアをノックした。ずっと不在にしていたので、きっと何度も届けにきたのであろうその配達人は無愛想に、小さな包みを差し出した。
 ポストに突っ込んでおいてくれれば良かったのに、と思ったが、封筒には「貴重品」の赤い文字が書かれており、直接渡さねばならないものであることが示されていた。リザは受け取り票にサインをし、礼を言って包みを受け取るとドアを閉めた。
 差出人の名前を見るために封筒を裏返そうとした途端、電話のベルがけたたましく鳴った。
 郵便だの電話だの、今日はちっとも落ち着かないわね、と心なし眉根を寄せながらリザは受話器を取った。
「はい」
「受け取ったかね?」
 ロイの落ち着いた声が聞こえてきた。こういうタイミングは決して外さないのが、彼の彼らしいところではある。当然、いま届いた小包のことを指しているのだと思い、リザは「はい」と答えた。
「二つ入っていただろう」
「まだ開けていないんです」
「では開けたまえ」
 どこから電話をかけているのか、まさか司令部からじゃないでしょうね、と言いたかったが、そのまさかだったりするとまずいので、リザはなるべく声を出さないようにした。
「ああ、外からかけている」
 リザの考えていることを悟ったのか、ロイはいたって気軽な口調で言った。少し安堵したリザは、
「包みを開けました」
と言った。小さな箱が二つ入っていた。一つは赤い箱、もう一つは白い箱。
「まず赤い方を開けたまえ」
 言葉に従って開けると、中には透明の小さなピアスが入っていた。
「これは……?」
「アクリル製だ。寒冷地でも、これなら凍傷にならない」
 そういうピアスがあることは知っていたが、まさかロイがブリッグズでピアスのことを聞いたときに、それを贈ろうと考えていたということは全く予想していなかった。リザが驚きながら礼を言うと、ロイは、
「白い箱も開けるんだ」
とうながした。
 白い箱の中には、普段リザがつけているものと、ほとんど変わらないシンプルなピアスが光っていた。
「明日からは、そっちをつけてくれるか」
「――わかりました」
「ではな」
 そのまま電話を切ろうとするロイに、リザは急き込むように、
「大佐」
と呼びかけた。
「うん?」
「あの……ありがとうございます」
 いいんだ、と言って、電話は切れた。

 寒冷地用のピアスを買ったときに、これを贈っても、彼女がつけるのは次回の演習時だから、だいぶ先になってしまうな、と思い、金属製のピアスも買うことにした。そこまでは、まあ、普通の男でもやりそうなことだ。
 今頃リザは、白い箱に入っているピアスと、自分のピアスを見比べているだろう。そして、どうして同じようなものをわざわざ、と不思議に思っていることだろう。
 自分と彼女だけが、昨日までしていたものとは違うということを知っていればいい。
 自分と彼女だけが、二人は特別な関係であることを知っていればいい。
 そんなことを考える自分は、やっぱりどうしようもないほど女々しくて、そして彼女に惚れているんだと、ロイは天を仰いで溜め息をついた。